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【ばたおとだめお】第10回・前編 努力をめぐって――能力主義と結果の平等 [ばたおとだめお]
※収録時点ではばたおさんは無職でしたが、この記事のup時点ではパートしています。
ばたおさんのツイート
「僕がもっとも嫌いな人は、一流大学に入って一流企業に入れたのは自分の努力の成果だと言うやつら。初めから有利な立場にある人は、自分が有利な立場にあると気づきづらいのだ。例えば僕は大学進学を前提に育てられていなかったし、世の中には自分の部屋どころか勉強机すら持っていない人がたくさんいる」
の反応をめぐって議論
とりとめのない話を再度聞きなおし、わたし(だめお)なりにまとめると、
潜在的能力は①遺伝子によって決まっている。
その能力を具現化するのに、②本人の意向とは関係のない運的要素(家庭(親の学歴や経済力)環境など)、そして③本人の努力が必要
具現化した個人の能力は①②③から成り立つのに、①②が個々人によって異なるという不平等は捨象され、あたかも③だけで獲得したかのように喧伝されている。
機会の平等は①②の不平等を糊塗する機能を果たしている。
私が求めるのは結果の平等であり、それは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会を実現することである。